
2025年7月17日木曜日、日本の長崎で設置を待つ浦上天主堂の代替の鐘。/ 写真提供:ジェームズ・ノーラン
CNAスタッフ、2025年7月26日 / 午前7:00 (CNA)。
日本の長崎のカトリック教徒たちは、第二次世界大戦末期に街の大部分を破壊した原子爆弾によって失われた鐘を、ちょうど80年後のこの日、大聖堂の鐘楼に再び設置した。
ウィリアムズ大学のジェームズ・ノーラン教授によると、浦上天主堂の鐘の製作と設置費用を募る国際的な取り組みにより、わずか1年余りで $125,000ドルが集まり、600人以上の個人寄付者から資金が寄せられた。
長崎は、広島とともに、第二次世界大戦末期の米軍による原子爆弾投下によって壊滅的な被害を受けた日本の2都市のうちの1つである。1945年8月9日に投下されたこの原爆は、戦争行為として原子爆弾が使用された最後にして2度目の事例となった。
Nolan 昨年CNAに語ったところによると 浦上天主堂の信徒たちは、被爆後に元の鐘の1つを掘り出して守り抜いた。その鐘は、1959年に再建された大聖堂の右側の鐘楼に設置された。
しかし、もう一方の鐘は破壊され、再建された左側の鐘楼は数十年間空のままとなっていた。
長崎の被爆者であるカトリック教徒の反応について執筆・調査するために頻繁に長崎を訪れていた社会学教授のノーラン氏は、大聖堂の信徒である森内幸次郎氏から「アメリカのカトリック教徒が左側の鐘楼のための鐘を寄贈してくれたら素晴らしい」という言葉を聞き、教授が中心となって鐘の再建プロジェクトを主導することになった。
教授にとって、このプロジェクトへの関与は個人的な意味を持つ。彼の祖父は、原子爆弾が開発されたニューメキシコ州ロスアラモスの施設で主任医務官を務めており、原爆投下後に調査チームの一員として長崎と広島の両方を訪れていた。
「長崎の物語を知った人々は、熱心に寄付をしてくれました」とノーラン氏は今週CNAに語った。
「7月15日に目標額の $125,000ドルに達しました」と彼は述べた。資金は鐘の製作費、輸送費、設置費用に充てられるという。
「資金調達には約1年4か月かかりました。最終的な集計では、合計628件の個人寄付が集まりました」とノーラン氏は語った。
森内氏は7月17日の祝福式でスピーチを行い、「少し感極まった様子だった」とノーラン氏は述べた。
長崎大司教区のペトロ中村倫明大司教はその日、鐘を祝福し、「聖カタリ・希望の鐘」と命名した。 AP通信によると、とのことである。
この鐘は、原爆によって教会が破壊されてから80年となる8月9日に正式に設置される予定である。ノーラン氏によると、1945年に教会の西約1600フィート(約488メートル)の上空で原爆が炸裂した正確な時刻である午前11時2分に、この鐘が鳴らされることになるという。
被爆地には、破壊された旧大聖堂の壁の一部が長崎平和公園に保存されている。一方、東側に再建された教会について、ノーラン氏は、この鐘が「アメリカと日本のカトリック信者の間に希望と平和、そして連帯を育む実を結ぶこと」を願っていると語った。
今月行われた祝福式での挨拶の中で、ノーラン氏は、長崎が受けた破壊について知ったアメリカのカトリック信者たちが「悲しみ、後悔、切なさ、そして許しと和解への願いを表明した」と述べた。
ある人物は彼にこう書き送ったという。「この鐘の音が、長崎の人々に、彼らが耐えてきたことに対する私たちの悲しみを思い起こさせ、私たちと神の愛が彼らと共にあることを確信させるものとなりますように」
また別の人物は、この鐘の寄贈は「この戦争の傷を癒やし、世界平和へと前進するためのもの」であると述べた。
