聖書は、兄弟同士が互いに責任を負うべきだと教えています。その始まりは、それを否定した最初の人間でした。弟がどこにいるのかと問われたカインは「私は弟の番人でしょうか」(創世記4:9)と答えました。聖書の残りの部分は、律法、仲違いして和解した兄弟たちの物語、そして教会に関する教えを通して、この問いに答えています。
新約聖書の書簡において「兄弟」とは通常、男女を問わず信仰を共にする仲間を指します。ESV聖書では、そのような箇所でギリシャ語の言葉が「兄弟姉妹」を意味し得ることが注記されています。
問い、そしてそれに答える律法

Genesis 4:9
「主はカインに言われた。『あなたの弟アベルはどこにいるのか。』彼は言った。『知りません。私は弟の番人でしょうか。』」
考察: カインの答えは嘘であり、兄弟に対する義務を否定するものでした。神はその点について議論はされません。神は「あなたは何ということをしたのか。あなたの弟の血が、地面からわたしに向かって叫んでいる」(4:10)と答えられました。

レビ記 19:17
「心の中で兄弟を憎んではならない。仲間を率直に戒めなさい。そうすれば、その人のことで罪を負うことはない。」
考察: 律法は心の中に憎しみを抱くことを禁じ、その代わりに相手と率直に話し合うことを求めています。続く節では恨みを抱くことを禁じ、後にイエスが引用した「自分を愛するように隣人を愛しなさい」(19:18)という命令で締めくくられています。

ヨハネの手紙一 3:15
「兄弟を憎む者は皆、人殺しであり、人殺しには永遠の命がとどまっていないことを、あなたたちは知っています。」
考察: その3節前でヨハネはカインの名を挙げ、「悪しき者から出て、自分の兄弟を殺した」(3:12)と述べています。彼はマタイによる福音書5章21-22節でイエスがそうしたように、殺人の根源を憎しみにまで遡っています。
仲違いした兄弟たち

Genesis 27:41
「エサウは、父がヤコブを祝福したその祝福のゆえに、ヤコブを憎んだ。エサウは心の中で言った。『父の喪に服する日が近づいている。その時が来たら、弟ヤコブを殺そう。』」
考察: ヤコブは、盲目の父を欺くことでエサウの祝福を奪ったばかりでした。イサクが死んだらヤコブを殺そうとエサウは計画し、それを聞いたリベカはヤコブを遠ざけました(27:42-45)。兄弟は20年後に再会し、エサウは「走って迎え、彼を抱き」(33:4)ました。

Proverbs 18:19
「怒らせた兄弟は堅固な城よりも攻めがたく、争いは城の門のかんぬきのようである。」
考察: この箴言は、仲違いした兄弟を堅固な城に、争いを城の門のかんぬきに例えています。親族間の和解がいかに難しいかを説明しており、以下のいくつかの節でその始め方が扱われているのはそのためです。

Genesis 45:4-5
「そこでヨセフは兄弟たちに言った。『どうぞ、近づいてください。』彼らが近づくと、ヨセフは言った。『私は、あなたがたがエジプトに売った兄弟、ヨセフです。今、思い悩むことはありません。』」
考察: ヨセフの兄弟たちは彼が17歳の時に彼を売り(37:2)、今や彼はエジプトを統治しています。彼は彼らに近づくよう求め、かつての行いを指摘し、思い悩まないよう伝えます。この節は「命を救うために、神が私をあなたがたより先に遣わされたのです」と続きます。その数節後、彼は「すべての兄弟に口づけし、彼らのために泣いた」(45:15)とあります。

Luke 15:32
「祝って喜ぶのが当然でしょう。この弟は死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。」
考察: 兄は帰ってきた息子を「このあなたの息子」(15:30)と呼びました。父は「このあなたの兄弟」と答えます。イエスは、兄が宴会に入ったかどうかを語ることなく、そこでたとえ話を終えています。
うまくいかなくなった時の対処法

マタイによる福音書 5:23-24
「だから、祭壇に供え物を捧げようとして、兄弟があなたに対して何か不満を抱いていることを思い出したなら、供え物をそこに置いて行きなさい。まず兄弟と和解しなさい。」
考察: この節では、不満を抱いているのは相手の方です。「兄弟があなたに対して何か不満を抱いている」場合、イエスは礼拝者に供え物を置いてまず和解するよう命じています。この教えは、兄弟に対する怒りが殺人と同じように裁かれるという教え(5:21-22)に直接続いています。

Luke 17:3
「自分自身に気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したら、彼を戒めなさい。そして悔い改めたら、彼を赦してやりなさい。」
考察: 叱責する前に、まず「自分自身に注意を払いなさい」とあります。次の節では赦しの限界が示されています。もし兄弟が1日に7回あなたに対して罪を犯し、そのたびに悔い改めるなら、「彼を赦さなければならない」(17:4)のです。

テサロニケ人への手紙第二 3章15節
「しかし、彼を敵とはみなさず、兄弟として戒めなさい。」
考察: その前の節でパウロは、教会の教えに従わない者とは関わりを持たず、恥じ入らせるようにと命じています(3:14)。この節はその懲戒を制限しています。その人は敵ではなく、警告すべき兄弟であるということです。

ヤコブの手紙 5:16
「ですから、互いに罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。そうすれば、あなたがたは癒やされます。」
考察: ヤコブは病人のための祈りについて書いており(5:14-15)、癒やしを信者同士の罪の告白と祈りに結びつけています。その後、一人の人間の祈りが何をもたらすかの例としてエリヤを挙げています(5:17)。
兄弟の存在意義

箴言 17:17
「友はどんな時にも愛するもの。兄弟は苦しみを分かち合うために生まれる。」
考察: 前半と後半で2種類の忠誠心が描かれています。友の愛は不変であり、兄弟は苦難の時にこそそばにいる存在です。

箴言 27:17
「鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれる。」
考察: 鉄は鉄によって研がれるという箴言は、互いに高め合う二人の人間にも当てはまります。この描写には摩擦が伴い、その恩恵は双方にもたらされます。

ガラテヤ人への手紙 6:2
「互いに重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を全うすることになります。」
考察: パウロは、互いの重荷を負い合うことをキリストの律法を成就することだと呼んでいます。その3節後には「それぞれ自分の荷を負うべきです」(6:5)と付け加えており、個々人が負うべき重荷と、分かち合うべき重い重荷があることを示しています。

詩篇 133:1
「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」
考察: 詩篇133篇はダビデによる都上りの歌です。兄弟が一つとなって共に住むことを、アロンのひげに注がれる油やヘルモン山の露に例えています(133:2-3)。
血縁ではない家族

Matthew 12:50
「天におられるわたしの父の御心を行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」
考察: イエスは、母と兄弟たちが外で話そうと待っている時にこう言われました(12:46)。彼は弟子たちを指して「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです」(12:49)と言われました。

ヘブライ人への手紙2章11節
「聖別する方も、聖別される者たちも、すべてひとりの方から出ているのです。それゆえ、主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥とされません。」
考察: 著者は、イエスが信者を兄弟と呼ぶことを「恥とはされません」と述べ、詩篇22篇から「わたしは、あなたの名をわたしの兄弟たちに告げ知らせ」(2:12)という言葉を引用して裏付けています。

ローマの信徒への手紙 8:29
「神はあらかじめ知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。」
考察: パウロはキリストを「多くの兄弟の中で長子」と呼んでいます。神の目的は、キリストを長子として、御子の姿にかたどられた人々からなる家族を築くことです。

Philemon 1:16
「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち愛する兄弟として。特に私にとってそうなら、あなたにとってはなおさら、肉においても主においても、愛する兄弟として。」
考察: パウロは、フィレモンの家から逃げ出し、キリスト教徒となった奴隷オネシモを、その主人のもとへ送り返しています(1:10-15)。彼はフィレモンに対し、オネシモを人間としても信仰の仲間としても「愛する兄弟」として受け入れるよう求めています。

ヨハネの手紙一 4:20
「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者が、目に見えない神を愛することはできません。」
考察: ヨハネの議論は、目に見えるものから目に見えないものへと展開します。目の前にいる兄弟を愛さない者が、見たこともない神を愛していると言うことはできないという論理です。
兄弟が亡くなった時

John 11:23
「イエスは彼女に言われた。『あなたの兄弟はよみがえります。』」
考察: イエスが到着した時、ラザロは墓に葬られて4日が経っていました(11:17)。マルタはイエスの言葉を終わりの日の約束として受け止めましたが、イエスは「わたしは復活であり、いのちです」(11:25)と答えました。イエスはラザロを生き返らせる前に、墓の前で涙を流されました(11:35)。
話をしていない相手がいる場合
聖書には兄弟の最悪の姿が記録されています。カインはアベルを殺し、エサウはヤコブを殺そうと計画し、ヨセフの兄弟たちは彼を奴隷として売りました。一方で、和解の記録もあります。創世記のこれら二つの物語では、いずれも約20年後に和解が実現しています。
イエスは、たとえ相手に非がある場合でも、不和を覚えた側から歩み寄るよう教えています(マタイ5:23-24)。また、レビ記19:17にはその方法が記されており、心の中で憎むのではなく、兄弟を率直に諭しなさいとあります。

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