朝に関する22の聖句



  • 詩篇5篇3節、詩篇119篇147節、マルコによる福音書1章35節は、いずれも一日の早い時間に祈りを捧げることを記しています。イエスは、戸口に集まった群衆を癒やした夜の翌朝、「まだ暗いうちに」起き上がられました。
  • 哀歌3章22-23節には、主の慈しみは「朝ごとに新しい」と記されています。これは、詩人が自分の魂が沈み込んでいると語った直後に述べられた言葉です。
  • 出エジプト記16章では、マナは毎朝集められ、安息日のために取っておいた分を除いて、一晩置くと腐ってしまいました。
  • ホセア書6章3節で人々は、神は「必ず太陽が昇るように」現れると言い、ホセア書6章4節で神は、彼らの愛は「朝の霧のようだ」と答えられています。
  • マタイによる福音書28章1節では、週の初めの日の夜明けに、婦人たちが空の墓を訪れます。

聖書において、朝は祈りと賛美の時間であり、苦難の夜の後の安らぎの象徴です。イエスはマルコによる福音書1章35節で夜明け前に祈り、哀歌3章22-23節は主の慈しみが「朝ごとに新しい」と述べています。

詩篇5篇3節は「朝」に神へ願いを捧げることを記し、詩篇30篇5節は夜の泣きと朝の喜びを対比させています。出エジプト記16章21節では毎朝マナが地面に降り、詩篇130篇5-6節は神を待ち望むことを朝を待つ見張りに例え、マタイによる福音書28章1節では「週の初めの日の夜明け」に婦人たちが空の墓を訪れます。

朝の祈り

Psalm 5:3

「主よ、朝に私の声を聞いてください。朝、私はあなたに願いを並べ、期待を込めて待ち望みます。」

考察: ダビデは詩篇の冒頭で、神に「私の言葉に耳を傾け」、「助けを求める叫びを聞いて」くださるよう願い(詩篇5篇1-2節)、祈る時間を指定しています。彼は「朝」という言葉を二度使い、詩は彼が期待を込めて待つ姿で締めくくられます。

マルコによる福音書 1:35

「朝はやく、まだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」

考察: その前日の日没後、町中の人々が戸口に集まり、イエスは病人を癒やし、悪霊を追い出されました(マルコによる福音書1章32-34節)。イエスは夜明け前に起きて一人で祈られました。シモンたちがイエスを見つけて「みんながあなたを探しています!」と言うと、イエスは近くの村々へ行って宣教すると答えられました(マルコによる福音書1章37-38節)。

Psalm 119:147

「私は夜明け前に起きて助けを求め、あなたの言葉に望みを置きました。」

考察: この節は、詩篇119篇のコフの節に属しており、詩人は心を尽くして神に呼びかけています。夜明け前に起きることは、次の節の夜通し起きていることと対になっています。「私は夜の警備の間に目が覚める。あなたの約束を黙想するためである」(詩篇119篇148節)。

Isaiah 26:9

「私の魂は夜にあなたを慕い、私の霊は朝にあなたを待ち望みます。あなたの裁きが地に来るとき、世の民は義を学びます。」

考察: イザヤ書26章は、ユダの地で「その日に」歌われる歌です(イザヤ書26章1節)。語り手は夜の間、そして朝にも神を慕い求めており、その前の行には「あなたの法の道を歩み、私たちはあなたを待ち望む」という状況が記されています(イザヤ書26章8節)。この節の後半は、神の裁きと世界が義を学ぶことを結びつけています。

Psalm 143:8

「朝にはあなたの慈しみの言葉を聞かせてください。私はあなたに依り頼んでいます。行くべき道を教えてください。私はあなたに魂を注ぎ上げています。」

考察: ダビデは、その前の節で「主よ、速やかに答えてください。私の霊は衰え果てています」(詩編143:7)と述べた後、神の愛の知らせが朝にもたらされるよう求めています。この願いには、神の変わらぬ愛の言葉と、彼が進むべき道への導きという2つの側面があります。

Isaiah 33:2

「主よ、私たちを憐れんでください。私たちはあなたを待ち望みます。毎朝、私たちの力となり、苦難の時の救いとなってください。」

考察: この章は、破壊者と裏切り者に対する災いの宣告で始まり(イザヤ書33:1)、この祈りがそれに続いています。民は「毎朝」の力、つまり日々の願いと、苦難の時の救いを求めています。この章はさらに、主を「あなたの時代の確かな基盤」(イザヤ書33:6)と呼んでいます。

Psalm 88:13

「しかし主よ、私はあなたに助けを叫び求めます。朝、私の祈りがあなたの御前に届きますように。」

考察: ヘマンの詩編は、死の淵からの祈りです。「私は穴に下る者たちと共に数えられています」(詩編88:4)。彼は毎朝祈り続けていますが、次の行では「主よ、なぜ私を退け、御顔を隠されるのですか」と問いかけています。この詩編は「闇こそが私の親しい友」という言葉で締めくくられ(詩編88:18)、答えは記されていません。

夜明けの賛美

Psalm 57:8

「目覚めよ、私の魂よ。目覚めよ、竪琴と琴よ。私は夜明けを呼び覚まそう。」

考察: 表題には、ダビデが「サウルから逃れて洞窟にいた」時の詩編であると記されています。彼は「災いが過ぎ去るまで、あなたの翼の陰に」避難することから始め(詩編57:1)、自分の魂と竪琴に目覚めるよう呼びかけ、夜明けを呼び覚ますと言っています。続く節では「諸国民の中で」賛美することを約束しています(詩編57:9)。詩編108:2でも「竪琴よ、目覚めよ。私は夜明けを呼び覚ます」という言葉が繰り返されています。

Psalm 59:16

「しかし私はあなたの力を歌い、朝ごとにあなたの愛を歌います。あなたは私の砦、苦難の時の避難所だからです。」

考察: 表題には、サウルがダビデを殺すために家を監視させた時の詩編であると記されています。その出来事を記したサムエル記上19:11では、男たちは「朝」に彼を殺すことになっていました。詩編の中で敵は「夕方になると戻ってきて、犬のようにうなり、町をうろつきます」(詩編59:14)。ダビデは夜に対して、神の愛と避難所についての朝の歌で応えています。

Psalm 92:1-3

「いと高き方よ、主に感謝をささげ、あなたの御名にほめ歌を歌うことは良いことです。朝にはあなたの愛を、夜にはあなたの真実を、十弦の竪琴と琴の調べに合わせて宣べ伝えることは。」

考察: 詩編92編には「安息日のための歌」という表題があります。この詩編は、朝には神の愛を、夜には神の真実を、竪琴と琴に合わせて宣べ伝えるという、一日の始まりと終わりを対にしています。次の節ではその理由が述べられています。「主よ、あなたは御業によって私を喜ばせてくださるからです」(詩編92:4)。

詩篇 90:14

「朝にはあなたの慈しみで私たちを満たしてください。そうすれば、私たちは一生、喜び歌い、楽しむでしょう。」

考察: 詩編90編には「神の人モーセの祈り」という表題があります。その前の方では、人間は「朝の若草のよう」であり、朝に芽生えても夕方には枯れてしまうと述べられています(詩編90:5-6)。「主よ、立ち返ってください。いつまででしょうか」(詩編90:13)と尋ねた後、モーセは神の僕たちのために、朝に神の変わらぬ愛で満たされるよう求めています。

神が毎朝与えてくださるもの

哀歌 3:22-23

「主の慈しみは決して絶えることはない。主の憐れみは決して尽きることはない。それは朝ごとに新たになる。あなたの真実は大きい。」

考察: 詩人は、自分の苦しみとさすらい、「苦よもぎと毒」を思い起こし、魂が内に沈み込んでいると述べたばかりです(哀歌3:19-20)。彼が代わりに思い起こすのは、民が滅びるのを防ぐ主の愛であり、その憐れみは毎朝新しくなるということです。次の節で彼は結論を導き出しています。「主こそ私の受ける分。だから私は主を待ち望む」(哀歌3:24)。

Zephaniah 3:5

「主は彼女の内にあって正しく、過ちを犯されない。朝ごとに主は裁きを明らかにし、新しい日ごとに失敗されることはない。しかし、不義な者は恥を知らない。」

考察: ゼファニヤ書3章は、エルサレムに対する災いの宣告で始まります。エルサレムの支配者たちは「朝まで何も残さない夕方の狼」です(ゼファニヤ書3:3)。預言者は、そのような役人たちに対して、都の内にあって「朝ごとに」裁きを明らかにする主を対比させています。この節は、それでもなお不義な者は「恥を知らない」と述べて終わります。

Exodus 16:21

「毎朝、人々はそれぞれ必要な分を集めた。日が熱くなると、それは溶けてしまった。」

考察: 神はモーセに、民が神の指示に従うかどうかを試すために「毎日出て、その日必要な分を集める」ように言われました(出エジプト記16:4)。一晩置いたマナは「虫がわいて臭くなった」(出エジプト記16:20)のですが、6日目に安息日のために取っておいた分だけは、朝まで新鮮なままでした(出エジプト記16:23-24)。

Psalm 46:5

「神はその中にあり、彼女は揺るがない。夜明けに神は彼女を助けられる。」

考察: この節の「彼女」とは、神の都、「いと高き方が住まわれる聖なる場所」(詩編46:4)のことです。この詩編は、地が揺れ動き山々が震える中で、神が「苦難の時の助け」として常に共におられるという言葉で始まります(詩編46:1-3)。ここでは、その助けが与えられる時が「夜明け」であると示されています。

夜が明けた朝

詩篇 30:5

「怒りは一瞬、恵みは一生。夜は泣き明かしても、喜びの朝が来る。」

考察: 表題には「神殿奉献の歌。ダビデの詩」とあります。ダビデは、「死の淵」から引き上げてくださった神に感謝し(詩編30:3)、神の忠実な民に主を賛美するよう呼びかけたばかりです(詩編30:4)。「なぜなら」で始まるこの節は、その理由を述べています。神の怒りは一瞬であり、その恵みは一生続くものであり、夜の涙は朝の喜びへと変わるのです。

Psalm 130:5-6

「私は主を待ち望む。私の魂は待ち望む。私は御言葉を待ち望む。私の魂は、朝を待つ見張り人よりも、さらに主を待ち望む。朝を待つ見張り人よりも。」

考察: 詩編130編は「主よ、深い淵の底から、私はあなたを呼びます」という言葉で始まり、憐れみを求めて「あなたのもとには赦しがある」と信頼を寄せています(詩編130:1-4)。詩人は「見張りが朝を待つにもまして」主を待ち望むと繰り返し、神の言葉に希望を置いています。詩編はイスラエルへの呼びかけで締めくくられます。「主はイスラエルをすべての罪から贖われる」(詩編130:8)。

Hosea 6:3

「さあ、主のもとに帰ろう。主はわたしたちを裂かれたが、また癒やし、打たれたが、また包んでくださる。二日の後、主はわたしたちを生き返らせ、三日目に立ち上がらせてくださる。わたしたちは御前に生きる。さあ、主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。主は暁の光のように必ず現れ、雨のように、大地を潤す春の雨のように、わたしたちのもとに来られる。」

考察: これは「さあ、主のもとに帰ろう」(ホセア書6:1)で始まる民の言葉であり、彼らは神が日の出のように確実に現れると確信しています。続く節での神の答えは、別の朝のイメージで応じています。「エフライムよ、わたしはお前に何をすればよいのか。ユダよ、わたしはお前に何をすればよいのか。お前たちの愛は朝の雲のよう、また、たちまち消える露のようだ」(ホセア書6:4)。

Isaiah 58:8

「そのとき、あなたの光は夜明けのように差し昇り、あなたの傷はすみやかに癒やされる。あなたの正義はあなたの先に進み、主の栄光があなたのしんがりとなる。」

考察: この節の夜明けは、神が選ばれた断食、すなわち不正の鎖を解き、飢えた者にパンを分け与え、宿なき者を家に招き入れ、裸の者に着せること(イザヤ書58:6-7)に続いています。次の節にはこうあります。「そのとき、あなたが呼ぶと、主は答え、助けを求めて叫ぶと、『わたしはここにいる』と言われる」(イザヤ書58:9)。

Job 38:12

「あなたはこれまでに、朝に命じ、夜明けにその場所を教えたことがあるか。」

考察: 主は「嵐の中から」(ヨブ記38:1)ヨブに語りかけ、ヨブが答えられない一連の問いを投げかけます。この問いは誰が夜明けに命じるのかを問うものであり、次の節では夜明けが何をするかが語られています。それは「地の端をつかみ」、悪人をそこから振り落とすのです(ヨブ記38:13)。

2 Peter 1:19

「また、わたしたちには、さらに確かな預言の言葉があります。暗い所に輝くともし火に目を向けるように、夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るまで、その言葉に目を向けていなさい。」

考察: ペトロは直前に、自分たちが「聖なる山」で天からの声「これはわたしの愛する子」を聞いた目撃者であったと記しています(ペトロの手紙二 1:17-18)。彼は預言の言葉を、夜が明けるまでの暗闇を照らす光と呼んでいます。ヨハネの黙示録22:16で、イエスはご自身を「輝く明けの明星」と呼んでいます。

Matthew 28:1

「安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリアとほかのマリアが、墓を見に行った。」

考察: 二人のマリアは安息日が終わった明け方に墓を見に行きました。マタイによる福音書は、激しい地震と、石を脇へ転がして「あの方はここにはおられない。言われたとおりに、復活されたのだ」と告げた天使の出来事を記録しています(マタイによる福音書28:2-6)。マルコによる福音書16:2では、同じ訪問が「日が昇ったばかりのころ」とされています。




フィードバック

コメントを残す

Share to...